小説・文字・活字メディアを超越した芸術作品でした
漱石の書く文章・語り口は、詩のようで美しく目の前に情景が時空を超えて存在しているかのようでした。 そして実際に、和歌、漢詩、イギリスの詩を引用しながら九州熊本の温泉地を訪ねていく画家の目線をとおして叙景を描いていっています。
この小説に時折出てくる、汽車、芸術などの文明論は真を捉えていて、近代化と人々の生活への深いところでの影響なども、生成AIが話題と戸惑いをもたらしている2023年の現在にも通づじていて、漱石の生きた時代が現在とまさに近代化の延長として地続きだと感じられました。
抽象絵画をみている感覚と、小説の構造がメタ的な二重構造になっている面白さ
この小説の構造は物語の様にはっきりとした構成をもっていなくて、俳句、漢詩、イギリスの詩で情景描写を行ったりと詩的であり、話しの境界線が曖昧で抽象絵画、印象派絵画のようです。
草枕の主人公は画家で、視覚芸術の人。この主人公の目線を小説という文字メディアで描くという構造が2重のメタ構造となっていています。そこが構成として面白いと感じました。
ちなみに… もちろんですが、人によって様々な受け止め方ができる懐の深い小説だということは、ここで補足いれさせていただきますね。
もとい、草枕は小説・物語を読むというよりは、オチもなく詩的な散文を、ふわふわと読むという読書体験が続いていく感覚もなれると面白いです。(読んでいて若干の戸惑いもありました…)
文字のメディアで画家の視点を語るという異なるメディアをメタ構造的に入れ子にしているという構図も草枕が伝えたい、芸術性や芸術体験を深くしている効果生み出していました。このあたり恐ろしいぐらいの才能ですね。この草枕をよんで、夏目漱石のすごさに初めて気づかされました。
最後の「オチ」の見事さ(若干、ネタバレです!)
小説の最後のセリフですが。一般人は若干引いてしまいそうなセリフでしたが、このあたりアーティストあるあるだなと思いました。
自分の人生につながる深いところでも自分はは納得でき、カチッとオチが決まった完璧な終わりで、かっこ良かったです。
この良さがわかる人がいたら話してみたいです。(連絡ください!)
非凡な才能と理性のバランス問題について
余談です。この小説の本筋とは直接関係無いのですが思った事があります。
特別にまで高められた感性や能力、それは視覚表現だったり文章表現だったり、そんな一人の人間のもつ技術や生み出す技術の卓越性に感銘するとともに、それに見合った思想・哲学の重要性についても想起されました。
世の中には、大なり小なり卓越した作品を生み出す人が存在しますが、そのなかでも特に偉大な芸術作品を生み出す人間の卓越した能力と、理性や知性のバランスについては、よく注意して見極める事が大切だとおもいます。
偉大な芸術作品を生み出しても、思想の根底に人種差別や権威主義が潜んでいることもよくあるとおもいます。
その点、この草枕には思想的なもゆがみをほとんど感じられなかった芸術でした。
漱石が卓越した技術・感性・芸術性と同時に思考力なども健全なものをもっていたのだなと感じることができたのは良い体験でした。
先ほど書いた小説最後のオチについても、芸術という高尚なテーマを扱っていながら、どこか落語のオチをきいていかのように「さらっと」した味わいがありました。このあたり、漱石のもつ思想・思考力の余裕とも感じました。
芸術・文明論を世俗的なものとの距離を描いていそうで、最後にさらっとした書き心地の大衆文化的な落語の的な(とも考えられる)オチが心地よかったです。
夏目漱石 参考リンク